箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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昭和初期の雑穀作付及び収穫量(中箕輪村〉年次|大昭和5年収作付穫反別高豆220296石反莱作収付穫反別高112595石反ZF著書ば777石反Lグ7年762169反石114101反石8701反石グ10隼322223反石113261反石(不明〉町村名|大豆|小豆|ぁゎ|ひえ(きび[そばLIZTLMこし|中箕輪町865800反石613354|反石337158反石I113295反石9649反石7138反石85石78∞40反石21,250〆東箕輪村26431333369141510.97014箕輪村1058410433264225304934七百十八石二斗九合九勺O百九十六石二斗三合六合三百七〆二百匁O千百七十七石八斗九升五合百十一石三斗四升七十六石三升六合O・ーT油荏、菜種なども、自家用として最小限を残して、その多くが売られたものである。大正年聞の雑穀等栽培種類、収量等についての記録はない。昭和年間も戦前のものは中箕輪村のものが上記のように記されている。昭和五年のものよりすると大豆に於て反収一石一斗余、反当価額にして二二円二銭余に過ぎない。またO莱にあって反収一石二斗余、価額にして一六円五銭O余である。蕎麦では、反収一石、価額にして一円余Oであって、これらの雑穀の生産性の低さを物語るものである。戦後にあっては昭和二十五年〈東箕輪は二十六年〉の雑穀作付反別、収穫高等は上記の通りである。戦後にあって、まだ食糧事情が十分でなかった時でもあり、雑穀の作付面積もかなりあった。特にあわ、ひえといった、明治年間にあって相当広く作られたも蕎泊稗E藍大莱麦荏棄豆昭和25年雑穀作付及び収穫高


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