箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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二、政府が維新以来の地主ょうごを無責任に放任のままでいた。三、地主、好商による投機と買占めが横行した。七月二十三日富山県一角に起きた婦人の示威運動が忽ち全国に自然的発生を見るにいたり、徹底的なる弾圧が加えられ社会的に莫大なる影響を与えた。当時末端町村においては行政上の処置としては大正八年八月一日救済金積立規定を施行して、米価暴騰に伴なう救済施設、窮民救助に救済の措置を講じた。この措置を講ずるまでには大正七年八月二十五日郡下各町村に於ては三十日現在の米の調査を一斉に行い、その量等については一斉秘密にして配給に万全を期したようである。続いて九月四日には各町村が救済のため一時に多量の買付けに産米地におもむかない様、又産米地には買付について種々事情があるので慎重に考慮し県内で買付けも必要量最少限にと県は町村に自重を強く呼びかけ事件の重大さがうかがわれる。この事件の発生がその後の労働運動の起点となった歴史的意義はきわめて大きなものがある。自作農化への道大正十五年、箕輪村大干魅のため収穫約八十町歩にわたって殆ど皆無となる。さらにこの年九月には南信地方に大暴風雨襲来して、被害甚大であった。一方小作争議もおこり、ょうようにして自作農化への方途を考えねばならぬ情勢となった。こうした社会的な情勢から東箕輪村では自作農創設維持資金貸付規程を作って、小作者をして自作農家の創設及び維持を図るようにした。この自作農創設維持資金の東箕輪村のものを見ると、貸付規程として「第一条、自作田畑創設又ハ維持ヲ行フ為本規程ニヨリ毎年度、予算ノ範囲内ニ於テ資金ヲ貸付ス」とある。また貸付を受けられる者として、①自作田畑と為すべき土地の購入、②自作田畑の維持(自作田畑として土地を購入したるにより生じたその土地の抵当債四


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