箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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一方、統計調査も本格的に行なわれるようになり、中箕輪村では大正十年三八名の調査委員を任命し、同村を三八区に分けて一区一名の調査員のもと調査の精確を期している。翌十一年にはこの調査も実施の段階で幾多の問題もあり、より一層の正確さを期するために、統計耕地図及び毎年作毛調査簿を作ることとなり、これが作成に本格的にとりくみ、この年度内(大正十一年)にほぼ大略ができ上った。これによって今迄兎角見当、腹づもりといった概算的な調査から科学的、分析的な調査へと大きく前進した。また大正十一年に共同購入の事業も本格化し、農会が中心となって農業資材や種子、農薬などを買入れている。現在ではほとんど裁培されないようになった紫雲英ハレγゲ)や青刈大豆などの種子の大量購入があり、また一方では土蔵爆蒸用の二硫化炭素や、防虫用の除虫菊などもある。大正十一年「本年度中共同購入ヲナシタル種名数量左ノ如シ一、紫雲英二十石四斗五升一、蚕産二万九千七百八十枚一、青刈大豆二斗五升一、羽広菜種子一斗二升一、宮重、聖護院種子一斗六升一、中打鍬十挺一、二硫化炭素二十五本詰二箱一、除虫粉四十封一、堆肥ホLグ七丁一、チブス菌殺剤大鑑三十六町歩分合計千三百二十八円一銭三百五十一円三十三銭八円二十五銭三十円二十七銭二十六円八十五銭十九円十七円五十銭三十二円八十銭十六円八十銭四円八十一銭一千八百三十五円七十二銭」


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