箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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明治末期の中箕輪村の農業明治四十二年発行の「同窓」誌には当時の農業全般について次のような記述がある。中箕輪村、六部落の状態を記してあるが、同一人の記述でないので観点もちがい、また内容についてもさまざまである。しかし当時の各部落の様子を端的に表わしている。これら各部落の様子を見ると、この頃よりどの部落にあっても養蚕がさかんになってきている。勿論四十年以前のことであろうが、畑に桑を植えている様子を書き記している。また、農業そのものの現状を、将来の予想の上に展望するといった記述も見られる。(松島、富田、上古田)農業の状態(明治四十二年〉松島農を分ちてことなす。一を蚕業とし一を耕作とす。在来の蚕業は農業の一副業たりしが近時はむしろ顛倒の気味あり、農家の経済は主に之に依って立てらるる有様となり、その結果繭相場の如何は直ちに農家の生計に及ぼすのみならず、ひいて土地商業の振不振を左右するに至りぬ。耕作の方面を見ると、遺憾ながら長足の進歩と言うを得ず、収穫は十年前と異ることなく、異るは金肥の使用くらいなり、両三年来不作のため、農業者の稲作を悲観するものあるは是非なけれど、また一層の研究と改良こそ大切なれ、稲作は無論、天候と大関係を有するは勿論なれども、また人事の手段如何に依る事大なるを思はざるべからず。例へば昨年の如きその種類に依って収穫に甚しき差違ありし如き大に研究を要することにして、さしむき種子の交換等は緊要の一なり。また植付以後農家は蚕業の繁忙に追はれ、いきおい除草その他に欠くる処あるは事実にして、之等が稲作不振の素因をなすやも計られやす、兎も角も現時の稲作にはいささかの進歩を認むる能わず。農業の状態(明治四十二年〉


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