箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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地解放はあったが、地主の保有が認められたため、水回は未だに小作地が多いけれど、今日では田畑二町歩を耕作して酪農、果樹栽培も営み、余裕のある生活もできるようになった。春日町の多くは、上古田からの移住者だったが、同様に様々な苦労を重ねて今日の安定した生活を築き上げたものだったという。開発の苦心当初の反対西天竜の開発は、関係地区多数の長年にわたる願望であったとはいうものの、反対者がなかったわけではない。当初の反対は、主として経済的理由によるもので、-反当五OO円(実際には六五O円)という大金を出資するのは容易なことではない023桑畑ないし山林原野でおけば、管理上の労力がかからない。当時としては、米価に比して繭価が割高で、水固化は収入減になる。等が主たる反対意見であった。水利関係の反対運動天竜川に水利権をもっ町村の農民は、西天竜へ多量に分水することに不安を感じていたが、開発計画が具体化するにつれて、これが反対運動にまで高まって来た。箕輪村が中心となり、東箕輪村、野底など利害を一にする人々で、西天竜反対期成同盟を結成し、次のような反対理由を挙げて当局に陳情した。一西天竜水田へ多量に分水すれば、天竜東の水田に千害の生ずる恐れがある。二諏訪湖一帯の製糸工場から排出される肥料分を含んだ濯瓶用水を多量に西天竜に取られ、下流では途中から注入する冷たい沢水等に薄められた肥料分の少ない水になり、また水温も下がる心配がある。三水量が減り、現在のままの頭首工では濯甑が不可能である。雨天続きでダムを上げた場合、洪水の危険があり、取入口が破壊される事態が予想される。以上の理由を挙げて、箕輪村(中村、浅野、小池)、東箕輪(戸田、柴〉、伊那町(弾塚〉の委員が出県陳情し四


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