箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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J七O銭になればよい方だったが、子どもの学生眠(小倉〉が七五銭ぐらいで買えた時代だった。二石四斗という好成績だった事などが相侯って、農民の開田T下開国進捗状況で水、国仕事には慣れているタフな農民ではあっても、これらは決して楽な作業ではなかった。そして賃金は一日五銭O昭和2年84567944,61791,10267,328636,824205,410370,70371910111213昭和8年156,81Q218,717248,308115,118計4306.220開田前の中箕輪村の土地利用状況そ面の積産の米倍量増Tま、開村田民前のの年土間地消利費用量のに状対況地L.~ま計宅原山普通畑桑田目地野林園ー表、の四四面O示、Oす五四八一六三町O通八六七四七八O積石り!二三五六四余足水り田開田前の中箕輪村の産米及び消費量な面か積不一現総反罰百カ足住産当作付人収反額ロ額量JJJ一、八ノ、九九Oム一七4-一、四五石石一人8石町田つT主主こ桑。園そのれ二が分、の稲一作初全年耕度地(の昭三和Oノ、三%年以力、高力で行なわれたから容易でなかった。抜根はツルハシやトンガで行なわれ、土の運搬はモッコで担ぐ。力農閑期の冬仕事にできたから、出て働けば現金収入になった。昭和五年以降は極端な農村不況期で、開田事業は思わないところで不況対策に役立つ結果となった。また満洲事変などの影響もあって、繭価の下向気味なのに比べ米価は逆に高かったし、開田初年度に米二石への意欲は高まり、開田は計画通り進んだ。箕輪町の開田進捗状況は次表の通りである。開発の効果


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