箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 452

る。一、橋々、寛も右三か村で引受けること。但し、橋については今度限りで、以後掛替るときは六か村で分担すること。一、井口囲い、寝入等も三か村で引受け、地主が難渋しないようにすること。一、井筋を普請するときは、右に準じて取計ること。右の通り規定した上は、双方違約することのないよう羽場、北大出、新町、宮木の各村代表者数名ずっと、三か村では沢村副戸長大槻嘉十郎外七名、大出村向井沢喜一郎外三名、松島村岡市川利一郎外一一名が連印している。なお、右の費用の負担割合は、沢四分、松島六分であった。O井筋も拡幅延長するための橋や寛の費用を、沢、大出、松島の三村で負担したのは当然としても、趣意金四両出した上に年々の井淡い、井口囲い堰入れの作業まで引受けるという規定は、引水交渉がさして難航した様子もなく妥結したことから、辰野の村々にとって相当有利な条件ではなかったかと考えられる。三村の水に対する要求が強くて、敢てこの苛酷と思われる条件をのんだのであろうが、その無理だったことは、明治十一年一一一月四日に、沢村と新町、羽場、北大出の聞に・交換された約定書からも窺われる。「:::明治六年約定書ノ内第三条掲載スル五ヶ年平均ヲ以テ約定相成候処未ダ実際施行不住候得共、該明治四年迄五ヶ年平均ヲ以テ積立人夫弐百八拾人六分、但壱人ニ付玄米弐升宛ノ定メ、豊凶ニカカワラズ其年々ノ相場ヲ以テ計算相成可申候外ニ、張物代トシテ金三円弐拾七銭壱厘右ノ通リ差出可申侯事:::Lこの約定書では、右のほかに、流末まで水が行届くよう辰野の村々は配意することを約束している。井筋は開通したものの、水量不足で約束通りの水が来ないため、沢では明治六年の規定に従わなかったものとも考えられ水不足の状況は、沢新井水利組合台帳(昭和十五年1〉によると、-七月一一一目OP前日来水不足ノタメ五枚程干上リ、桑沢氏一人ニテハ手廻兼ルニヨリ大蔵伊平氏ヲ雇フO


<< | < | > | >>