箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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新井は古来、辰野町宮木の飯田線鉄橋の上方で横川川から取水し、宮木、新町、羽場、北大出の水田約三町歩に給水していた濯甑用水であった。それを沢村、大出村を経て松島村まで延長し、三か村合計約一二町歩を開国したのは明治六年のことである。辰野との仮示談が成立したのは「議定書之事」によると、明治五年である。それには、「今般国益ノ御趣意ニ基キ沢村大出村松島村一一一ケ村ニテ畑田成開発致度ニ付キ辰野村字築尻耕地ヨリ井堰堀割揚込通水ノ儀頼入レ侯処御実意ヲ以テ御承知被下侯ニ付右示談書ノ趣意左ことあり一、井堀潰地代金として四五両、趣意金として一五両を沢、松島村より出金すること。一、揚込井堰は、井底九尺、井桁三尺で絵図の通りにすること。一、通行橋は三か所で永久掛渡すること。一、弁淡いはなるべく地主に迷惑をかけないようにする。等の内容で、辰野村名主矢ケ崎善治ほか、沢村名主大槻嘉重ほか、大出村名主有賀平次郎ほか、松島村名主藤沢与市ほかが連印している。示談が正式に成立したのは、明治六年五月で、「執極申規定書之事」によると、「:::今般本規定書執極候趣ヲ左ニ」と前書きして、大要次の通り取決めている。一、井筋は元井を三尺拡げてニ間幅にすること。一、井筋拡張のための潰地代、堰代として金四OO両を、沢村、松島村から四か村へ差出すこと。(註沢四分、松島六分で分担〉一、井淡い、普請、水揚人足等の諸経費は、明治六年までの五か年間平均分だけ、沢、大出、松島の三か村か1ら差出し、今後の井波い水揚等を引受けること。OO新井


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