箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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OO長岡村は正保二年の御検地では五七戸であった。追々戸数増加して現在では一七九戸あり、呑用水には郷沢の湧水を用いているが、毎年水不足で難渋している。この一ノ沢からの揚水については、嘉永五年南小河内村と示談が成立して井筋(註1)を堀立てたが、北小河内村から故障が出て、旧幕府へお願いしたが、村々御支配違いで一示談が成らず、今日に至ったものである。新政府になり、伊那県御役所の力添もあって、ここに両村との示談が成立したので、継井の堀立と古井堰修繕を許可願いたい。右の趣旨で、長岡村副戸長伊藤久四郎、山口九郎治、藤沢平一郎、百姓惣代永井正造、関織右衛門が連署している。(註1字霧山沢から字郷沢まで堀立てたものと推定される。以下古井堰という。)この届出は、同年九月十日に書面願之趣聞届侯事但修繕出来ノ上猶可届出事と許可になった。改規約明治七年十二月、関、永井両名と長岡村民一四六名との聞に・交換された規約の一部が、次の理由で改められた。水代金は、明治八、九年の二か年に取立てる規約だったが、継井堀立の入費のほかに、天竜井の沢底から赤O羽、樋口村の区聞を切拡げなければならないので入費が嵩む。よって、当七年十二月に出金する場合は、三坪当り七五銭でよく、八年になれば一円、八年より遅れる場合は一円三銭と改める。この改規約に署名捺印した者は、山口新助ほか八名で、開田予定面積は、一四町二反一畝であった。水代金出金状況Oこの改規約に基き、明治七年十二月までに、四八名が五五四円四七銭と村方より呑用水分として一円出金している。井壊堀立状況OOO


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