箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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伊那土地改良の概要図表事業費I363,574,0∞円事業量事業年度受益面積全用水量全排水量頭首口1カ所、用水路9026.76M、排水路104470.50M昭和27年~昭和38年度箕輪町関係分約317HA4.29RRL/秒(左岸2.23M/秒右岸2.07M3/秒〉26.80RRL/秒第3編産業経済Iた。こんな苦労をしても、収穫は乾田の半分程、モミで反当五六俵精々だったから、耕作するのが嫌で手放し伊那土地改良区の頭首エ水路の整備、および区画整理を行ない、乾田化による生産力の増強と営農労力の節減をはかろうとしたものである。この事業は、頭首工と幹線用排水路は県営で、支線と区画整理は団体営(伊那土地改良区〉で行なわれ、個人負担は水田が反当四万円、畑その他は八千円であった。一年遅れて加入した南北小河内と長岡の関係区には、湿田がなくて区画整理のみだったが、負担率には変りなかった。湿聞は木下地区の、渋田、穴回、箕輪坂、馬場、橋詰等、それに三日町地区の下裏、町裏や福与地区の築島で、中でも木下の穴回はその字名が示すとおりのひどい湿回であった。改良の効果改良工事前の湿田の水は冷たかった。回ごしらえは四本ぽで掻き起こし、万能鍬で均して肥料を撒けば終わりだったが、膝まで浸つての作業は決して楽なものではなかった。毎年足が落ち込まないように芝を踏み込んだが、場所によってはこどもの腰あたりまで沈むこともあった。田植えは、足をとられて移動が困難なので普通とはちがって、列は乱れても構わずに前、左右、手の届く範囲を植え、なるべく移動を少なくせざるを得なかった。赤γプがうき、ヒルに吸いつかれることもあって、こどもでなくとも気持ちが悪かった。稲刈りは刈るはじから束ね、田舟に乗せて畔に出した。秋風がまくり上げた膝に冷たく当って、作業のつらさが身にしみ


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