箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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箕輪村耕作地が狭少なため、貸地の小作料は籾または玄米等の物納で、地主の多くは比較的恵まれていた。その反面、小作人は常に不利な状態におかれ、中には地主に隷属する不遇な地位に甘んじなければならない者もあった。改革により、二余戸の農家が自作地を持つことができるようになった。これは箕輪村にとっては、未曾有OOの大変革であったが、買収、売渡は、農地委員の不断の努力によって平穏裡に完了した。しかしその陰には、一瞬にして没落に等しい悲運に陥った地主のあったことも厳粛な事実であった。改革にあわせて、昭和二十五年度から天竜川流域一帯にわたり、土地改良法に基づく大規模な土地改良事業を実施した。関係地区農民の努力によって、用排水路の完備、農道の開発等営農上に多大の改善を行ったことは、農地解放とともに特筆すべき成果であった。東箕輪村東箕輪村の改革は、最も徹底した耕作者本位の姿勢で実施された。まず耕作者に買受希望地を選定させ、希望順位に従って売渡した。保有限度内地主の所有する小作地は、法の規定による交換によって、平均自作率になるように売渡を実施した。また、遡及耕作権を確立して遡及買収を徹底させ、土地取り上げを厳格に審査する等、小作人のための農地委員会のような活動をしたので、村内各所から農地改革行過ぎの声が高まる程だった。遡及買収には、訴訟事件に発展するなど波乱の多い改革であった。特筆すべき事は交換分合の成果で、昭和二十六年度内に全村一区として三町歩に及んだ。移動率一五%のOO高率と内容的実績により、農林省、県知事、交換分合推進協議会等から表彰を受けた。こうした成果は、封建性と因習の打破に開眼した、農民の力に因ることは勿論であるが、農地委員会等改革の担当者の努力をみのがすわけにはいかない。


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