箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第二次農地改革については、地主の保有小作地を残したこと、山林の解放に手をつけなかったこと、水利権の解放がなされなかったこと等幾多の問題を残した点に批判はあるが、半封建的地主制の崩壊は疑いなく、画期的な改革であったと言えよう。改革の経過中箕輪町改革の仕事は、昭和二十一年十二月二十日の選挙で当選した農地委員を中心に、農民組合との緊密な連繋のもとに着実に進められた。まず耕作者に全耕地一筆ごとに地番、地目、面積等関係事項を記入した札を立ててもらい、それを集めて基礎資料にした。売渡計画の作成には、部落ごとに農民組合・委員・補助員からなる売渡対策委員会を構成してこれに当った。委員会は、自作率の平均化を目標にして、個人ごとの自作農創設計画表を作成し、買受け希望者については、耕地、稼働労力、自小作率、資産関係等詳細に経営調査をし、改革の趣旨に沿って適正に行なわれるよう努めた。宅地はほとんどが分筆を必要とし、特に半農半商的地区における宅地の分合筆には困難が伴った。異議申立、訴願、訴訟等が続出したが、関係者の努力と協力により逐次解決した。第一回農地委員として活躍した中坪寅は、当時を回顧して次のように語っている。「とにかく売るにしても買うにしても、農民が本能的に執着を持つ土地であるだけに、摩擦や抵抗が起きやすいのは当然だし、それだけに駆引きや裏面工作も行なわれた。また、情において忍びない場合でも、敢えて法通りに適用しなければならない事例もあったりして、それ等の調整には並々ならぬ努力が必要であった。今日に至ってみれば、拙速的とか微温的とか幾多批判はあるにしても、しかしとにかく「農地は農民の手へ」という大原則を踏みはずすことなく、この画期的な事業が農民自らの手で行ない得たことには、大きな意義が認められよう。」


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