箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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地を小作農に解放し、その対価は必要に応じ年賦償還すること。2小作料を金納化し、それを統制していくこと。3市町村農地委員会を階層別選挙による強力なものにする。等であった。しかし議会においては強力な反対があって、一時不成立に終わる形勢も見えたが、同年十二月九日付で、連合軍総司令部の「農地改革に関する覚書」が発せられたことによって審議が進み、一部修正の上十二月十八日にようやく成立した。しかしそれは、根本的に日本農村の民主化を意図する占領諸国の「覚書」の内容とは本質的に隔たりがあり、O国内にも大きな不満もあって、より徹底したものが要求され、政府は、農地改革の計画を最初からやり直さなければならなくなった。結局第一次農地改革は実施されるに至らなかったが、ただ小作料の金納化だけが、玄米石当り七五円、大麦二四円三銭等の基準が発表され、長い間小作人の大きな負担となっていた、収穫物の半分にも達する物納小作料が、昭和二十一年四月一日限り日本農業から永遠に姿を消していった。第二節第二次農地改革占領政策と農地改革についての覚書連合軍総司令部は、日本を民主化するためには、農地改革が不可欠な条件として、占領政策の重要な一つに組入れていた。数世紀にわたって、日本農民会}封建的抑圧の下においてきた古い制度を根本的に改めなければならないとし、それを具体的に示したものが、「農地改革についての覚書」ハG-H・一九四五年二一月九日)である。それは概略次のような内容であった。「農地改革についての覚書」Q


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