箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第2章農地改革第二章第一節農地改革敗戦と第一次農地改革昭和二十年八月十五日、遂に第二次世界大戦に終止符が打たれた。戦争が終わったとき、長年にわたって働き手である夫や息子を戦線に送り出していた手間不足と、肥料や農具等の生産資材の欠乏とにより、田畑は荒れ果て食糧生産力は極端に低下していた。また、激しい爆撃により都市の産業は灰憧に帰して失業者は溢れ、更に外地からの引揚者は相次いで故国に帰り、日本は深刻な食糧不足に直面した。配給米だけでは半月もくらせず、人々は食べられる物は何でも食べた。ヨモギ・アカザはいうまでもなく、サツマイモのつるも食べたし、ササの実を粉にしてまで飢をしのがなければならなかった。従って、敗戦からの建直しには、まず食糧の確保と農業生産の回復が不可欠の前提条件であった。改革の内容昭和二十年十一月二十二日、時の政府は閣議において従来の農地調整法を大改正し、「健全なる農家の育成により、農業生産力の発展を図るは、食糧生産確保の要諦たるのみならず、日本再建の基盤たるにかんがみ、自作農創設の強化、小作料の金納化などの措置により、農業停滞の要因たりし農地制度を根本的に改革する」といういわゆる第一次農地改革の断行を決定した。その内容は、自作農を今後五か年以内に広汎に創設するため、在村地主所有の五町歩を超ゆるもの、及び不在地主の農


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