箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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OO田反別九、六六四円七銭一一埋地価金一一一一、七九一円五八銭五厘国税宅地反別OOOO東箕輪村地価。畑反別地価地価税地(明治八年〉以上地価調査中二三三町九反三畝二十五歩総計反別一一一、八七二町三反一畝二五歩O二三九町五反八畝十歩二八、二八三円三五銭四厘四二町二反九畝二五歩一て八四三円五三銭税金三、九八四円八五銭八厘金三、九二三円七四銭八厘金六一円一一銭県税なし総計金一二、九八四円八五銭八厘OO貢地租雑税OOO竹林反別三反四畝一歩林反別一七三町四反五畝一歩原野反別一二、一八二町七反二三歩第三節小作調停法と自作農創設維持法大正九年三月に、第一次世界大戦後恐慌が始まると、農産物は暴落して農村の窮乏が激しくなった。生活に苦しむ小作者は、小作料の引き下げと耕作権確立を要求して、全国各地に争議を起した。こうした農村状勢から小作問題をどうするかが、当時の農政の一大争点となり、政府は耕作者を保護する小作法の制定を試みたが、地主側の反対にあって、小作法関係草案、関係法案はすべて不発に終わった。その代案として生まれたのが、小作調停法と自作農創設維持制度の制度であった。小作調停法小作調停法は大正十三年に公布され、長野県にも地方小作官と、それを助ける二二余名の小作調停委員が任O命されたが、箕輪町におけるこの関係資料は全然見当らず、運用の実態については全く不明である。第1章戦前の農地制度


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