箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 384

第二期グ小学校入学六ヶ月以内第三期小学校卒業六ヶ月以内第一期定期種痘(初種痘〉生後二T一一一月の間上古田天然痘済種痘並末痘人員調帳録では木下の小林亀次郎で、慶応二年四月のことである。明治七年には全国的に天然痘が流行したが、木下から二名の患者が出ているほかは、不明である。明治十四年の上古田耕地「天然痘済、種痘済並未痘人員調帳」によると、天然痘済五八人種痘済八六人未痘一七人となっている。天然痘済五十八名は、当時これに握るものがかなり高率であったことを物語っている。明治十九年からは種痘細則が出て、毎年春秋二回接種することになり、二十六年箕輪村村会議事録には、種痘苗ハ村税ヲモッテ補助シ、種痘料ハ一人参銭徴集セりと記述されている。中・東箕輪村でも同様であった。明治三十年制定の伝染病予病法では、


<< | < | > | >>