箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第二節保健・衛生明治初期における国民一般の保健衛生知識は、まだ極めて低いものであった。そこで政府は、国民の衛生思想の啓蒙をはかったが、余りに官僚的だったため、かえって反感や裳怖を生むことになり、その後長い間衛生とは衛生委員当選証書巡査のサーベルと同様こわいものという印象を与える結果となった。村ごとに衛生会を組織し衛生委員会を設けたりしてきたのは明治十二年から明治十四年にかけてのことである。東箕輪村においては、明治十三年に選挙により選任して、郡役所より認可されて設置している。町村役場が設置されてからは、衛生は兵事、教育とともに重要な役場の仕事となり、毎年詳細な事務報告をしているし、区にも関係資料が保存されている。それ等を中心に町の保健衛生の概要をみると次の通りである。伝天然痘天然痘が日本で流行し始めたのは八世紀ごろからで(続日本記)、日本における牛痘接種の初めは嘉永二年(一八四九)である。箕輪町で最も早く種痘接種をしている者は、現存する記染病


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