箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第九節大東亜戦争昭和十六年十二月太平洋戦争に至ると召集につぐ召集があり、成人男子は村から離れた。兵籍にある予備、後備役、第一国民兵及び第一第二補充兵の未入営の兵籍の者はもちろん、第二国民兵も兵籍に編入して、昭和十七年より日毎に召集された。これを大東亜戦争といった。昭和十七年四月より昭和十九年十二月までの中箕輪村の兵員状況の概数は次のとおりであった。言十和昭十和昭十年事九七八年年動員含(をむ召解同集五ムO四回ノ、、-集召Jぷ口数応、回回五一一ノ、八七回十年一一一除時一一八完名中召名九名八台名名数一七七七一五四名名名名品、このように動員回数は年と共に増加し従って応召者も増した。また解除により帰ってくるものもあったがこれは逆に減少している。解除により村に帰っても、続いて召集合-受け再び村を後にする者もあり、村内兵籍者の出入は益々複雑さを増した。昭和十九年になると解除同時に召集者が、三十九名あった。教育召集解除同時、満期除隊同時、予備役編入同時、充員召集解除同時、の引き続きの召集である。三年間の動員状況推移は以上のようであったが、状況の急迫とともに村長宛の連絡も多様化してきた。「戦時職務内達書交付方依頼」という、聯隊区司令官よりのものもあった。これは村内の将校ハ少尉以上〉にあてたものである。「秘」として本人以外開封を禁じた戦時の重要文書とされていた。また警察署より届けられる袋には「柏第二十七編成」というように暗号的な文字が使用され始めた。


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