箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第五節日清戦争明治時代の日本の国家は、ヨーロッパ先進諸国の衝動のもとに生まれ、その圧迫を受けるにつれて、富国強兵というスローガンをたててこれらに対抗しようとしながらも、実際には近隣の弱小国家に目を向ける結果となった。ここで、朝鮮の支配が問題となる。朝鮮を属国としようとする清国と利益線を意図する日本との聞に対立を生じた。東学党の乱を鎮めるという名のもとに清国が出兵したことを機会に、日本も朝鮮出兵をおこない、これが日清戦争へと発展していった。相つぐ敗戦で清国は欧米各国に依頼し結局、アメリカの仲介で日清講和が成立した。内容は、朝鮮の独立を認める。台湾、滋湖島、遼東半島を日本の領土とする。賠償金を払うというものであった。Nしかしこのうち遼東半島は、ロシヤ、ドイツ、フランスのいわゆる三国干渉により領有を放棄した臥薪嘗謄μ(薪の上に寝て、にがいきもをなめる)のスローガンの生れたのも此の時である。ここから日本は対ロシヤ戦争の準備が始まるのである。日清戦争による箕輪町の戦死者は三名であった。第六節日露戦争朝鮮の独立保障とその近代化とを名として、日本は清国の勢力を朝鮮から退けた。しかし朝鮮への推進は何もできなかった。明治二十九年ロシアの海兵が仁川に上陸して以来、朝鮮はロシアの支配下におかれた。


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