箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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病気のため入院することを入病室といい、病気の種類によって、一等症から三等症まであった。一年間病気にならず休まない場合には、「褒賞休業」というのがあった。また入営中の給与は、週給制であった。第一年目が一七銭五厘グニグ二三銭八厘グ三。二六銭六厘病気で休んだ場合は「病罰減給」として一週間につき、一二銭七厘を差し引かれている。貯金もおこない一週間で五銭六厘の「積金」をしている。じばんζした武器、被服、装具、夜具等それぞれに給与表を設けて、時々検査をおこなっている。下着を「嬬祥」「袴下」といい、上着を「お」スボンを「捧」というように、軍隊独自の名称は昭和に至るまで続いていた。「洗面器」を「面洗器」というのである。帰郷に関して次のような記録もある。「明十四年三月十五日帰郷被申付ニ付名古屋鎮台ヨリ長野県下信濃国上伊那郡中箕輪村マデ里程四十五星旅費金壱円八拾銭前同断ニ付手当金二拾二銭」三年間の兵役を果して、名古屋より帰るための旅費、手当は、二円二銭であった。三年の満期をすませて家に帰ると予備役に編入される。此の予備役になっても予備軍復習が年一回三年間おこなわれるのである。明治十五年三月二十九日名古屋鎮台第六聯隊第二大隊第二中隊へ入隊四月十日発一週間各務ケ原ニ於テ野営演習


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