箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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』よ4・ノ、五四東箕輪の警察明治十二年七月、中箕輪分署が廃止されるまでその管下にあったが、東箕輪は天竜川の川東に位置しており、当時諏訪、高遠方面と地形的、経済的にも交渉が多いという理由から、上諏訪警察署西高遠分暑に編入された。その後明治二十二年には伊那警察の所属となり、その第一一号受持区となり、南小河内に巡査駐在所が置かれた。その後伊那富分署の管下にもどり、大正十年には、また伊那署中箕輪巡査部長派出所管轄となった。駐在所は、戦後の自治警時代に一時国家地方警察上伊那地区警に編入されて、昭和四十二年の廃止まで存続した。箕輪の警察東箕輪といっしょに、明治十二年に中箕輪分署の廃止で西高速分署の管轄となり、明治二十二年から伊那警察署第二一号の受持区となった。大正九年三日町井上たか所有の木造一棟を借受け、巡査駐在所としていたが、昭和二十一年三日町一五一三の地に新築した。駐在所は、昭和四十二年四月廃止されるまで存続した。この間、自治警時代には東箕輪と同様上伊那地区警に所属した。,自治体警察中箕輪村警察署時代の変遷にともない警察の機構にも更改があったが、特に著しいものは、戦後の民主的警察制度の発展である。その具体的なあらわれは、昭和二十二年十二月公布の新しい警察法に基づく、自治体警察である。自治体警察の発足で問題になった焦点は、当該町村財政で警察を維持していけるかどうかであった。中箕輪村としては、警察力は現在の派出所で十分であり、政府が財政的措置を講じてくれるならよいが、今の村財政ではやっていけないという態度であった。結局昭和二十三年三月中箕輪村警察署の発足となった。組織は警部補一、巡査部長二、巡査五、書記一、その他コ百計一二名で、署長は酒井作夫警部補で、昭和二十


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