箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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本、大町、上諏訪、松島、飯田、福島、高山、湯島)と付属の三六屯所を設けることとなり、松島は第四出張所となった。この時の管轄は次表のとおりであった。警部は七等警部市橋友孝が任命されたが、出張所の位置など詳細は不明である。その後飯田警察出張所の飯島屯所が赤穂に移り、第聖書台裏書童四、回、五六二九四密、島J二名名人四戸巡査上穂五屯名所赤穂村ほカミ五か村巡査西高遠七屯名所高遠町商Tまか八カミ村巡査張出一所O直名管一一蓄中』まかか村屯所名一-1管轄町村二上穂屯所ハ巡査五名〉として松島の第四出張所の所属となり、松島は一時期上伊那の警置霊LL察の中心であった。地理的に北偏している松島に、何故に出張所が置かれたかは明らかでない。松島が宿場として枢要な地であったこと、また第一七大区の最初の大区長で、明治七年筑摩県が開産社を設立し各地に支社を設けた際、その社長となって殖産興業に功績をあげた日野呑々彦が、松島村にいたこともその一因と考えられるが、控証はない。明治九年八月、大政官布告により筑摩県は廃されて、その所属であった中南信四郡は長野県に合県された。それにともない、同年九月九日その警察組織も長野県に移管された。この時松島の警察出張所は廃されて松島屯所に格下げされ、それまで管轄下にあった高遠、上穂の両屯所は他の所属となってはなれた。松島屯所は明治十年二月からは中箕輪分署と改称したが、明、治十二年七月飯田警察署伊那分署が発足することになって廃止され、その短かい歴史を閉じた。その後の推移については、廃止後は伊那分署に所属し、明治十七年ごろには派出所は中箕輪村小瀬田八四二二番地にあった。明治四十三年には三人勤務の巡査駐在所となり、大正十年四月一日からは巡査部長派出所となって、中箕輪、箕輪、東箕輪村を管轄することとなった。


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