箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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南小河内村長岡村コ一日町村福与村右村々御村吏衆中今度右二名が見廻番に任命されたから、見廻りに行った時々は何かと相談するよう、承知したら村名の下に捺印してよこすようにという廻状である。旧中箕輪の第一一一一一区、二ニ二区でも同様見廻番が置かれていたであろう。同六年からは大、小区制が敷かれ、同七年一月筑摩県達を以て従来の捕丁をすべて免職させ、新たに各小区に捕丁を任命した。新たに村内から職にたえる人材として選ばれた捕丁は、捕吏〈県に置かれ捕亡吏)および正副戸長の旨をうけて、ことを行なうよう定められており、常に三尺棒と称する樫の棒を携えて区内を巡濯して治安につとめたというが、この捕丁についての資料はない。上伊那警察の中心となった松島明治八年三月大政官達により行政警察規則が公布され、近代警察制度への第一歩を踏み出した。これにより従来不分明であった司法警察と行政警察の区別がはっきりし、警察はこれ以後内務省の管下にはいって行政警察を職務とすることになった。従来の捕亡、捕丁は遅卒らそっと改められ、周年同月筑摩県管内一四か所に警査部(警察出張所)が設置された。その第七警査部が松島、日野源吾方を庁舎として発足した。配置遅卒数については不明だが、同時に第六警査部となった高速が九名であったことから、ほぽ推定はつく。第四警察出張所明治八年十二月の内務省達によって、筑摩県は警察組織の再編成を行ない、県内枢要の地に八警察出張所(松


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