箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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来賓大槻村長、牛沢校長、唐沢、小林両村会議員等ナリキ本日出場人員団長一、副団長一、分団長四、副分団長九、班長三七、警防員四六二、計五一四これによってみると忠霊塔建設予定地の桑株抜根作業に動員されていることがわかる。当時多くの人々が、戦地或は軍需工場へ動員されて労力不足にあえいでいたので、警防団員がこの様な内容の作業にも動員されたものである。しかし人手不足は年を逐うて深刻となり、昭和十九年の沿革誌記載には、一、十一月二十二日午前六時三十分出発村公営炭搬出ノタメ勤労奉仕ヲナス出動者人員三百八十名とあり、村有林霧沢山で製造した木炭を搬出する作業に動員されており、翌二十年一月の記載事項にも次のようなものがある。一、一月五日午前六時三十分カラ西分教場一一於テ出初式ヲ行ヒ伊那警察署長ノ表彰及ピ訓辞アリ直チニ公営木炭搬出ノタメ霧沢-一向ウ午後三時下山解散スとあり、敗色の濃くなった当時の様子が沿革誌を通してうかがわれる。終戦後の警防団の活動内容については、防空訓練を除いては変ることはないが、沿革誌の記載事項を抄出してその運営の方法の違いを見ることにしたい。昭和二十一年度一、一月二十六日午前七時三十分カラ国民学校々庭ニ於テ出初式ヲ挙行ス同十時散会一、九月二十二日(警防力強化期間ノ中期〉集合訓練ヲ実施ス国民学校ノ火災ノ場合ニ於ケル研究ヲナス各分団各々「ポγプ」ヲ牽引ス一、十二月四日九時集合国民学校庭-一於テ中箕輪村、箕輪村、東箕輪村、南箕輪村、西箕輪村、手良村六ケ村合同ニテ秋期演習ヲ実施ス小林伊那警察署長ノ臨場アリ人員報告・姿勢服装ノ点検・機械器具ノ点検・ポンプ操法ヲ実施ス演習終


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