箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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たる天竜西岸十戸長に次のようなお触れを廻している。しばしば「火之元之儀者精々念入可申処、近来失火之届、震有之、畢寛取締筋等閑-一心得候ヨリ右之次第ニ立至リ侯義ユテ以之外之事ニ候。具出火有之候得ハ互ニ駈付、消防救助可致旨通義之情、勿論之事ニテ所、近村エ而モ徒ニ傍観致居侯自然及延焼侯義も有之侯趣、是亦不相済事-一テ就而ハ己来出火之節ハ村吏ハ勿論人民一般相互ニ火元Jωへ駈付消防致シ可申候。此旨区長始正副戸長ニ於テ一層、注意火之元取締筋ハ勿論消防方ノ手筈等予メ取定置不都合無之様可致事」右の廻書は、松島村より、平出・小野・横川・上古田・大査・西伊那部・神子柴を通って、木下へ廻ってきており、広範囲な消火活動をめざしていたことがわかる。このころ、高遠町の消防では、回一扇(うちわ)を持っており、大きな「うちわ」で火勢をあおいで防火した火消しの姿が想像される。桶と柄杓(ひしゃく〉と、駈付人足の消防組であったわけである。畿ム髄醐購輔緩鰍幾糊川劇於附総制川附滋附滋燃綴邸鮫麟膨膨斡附撚噺湖滋紛応畿鰍毅陶附附一一綴州綴欄綴訓蹴畿附総ω総怒鵬綴吋鴻叶悶叶綴叶叶蹴籍鱗欄機燃機麟麟麟機「欄門跡あったOこの時期の消防組の規則は珍しいのでその詳細を紹介したII露襲撃覇融機寸い。義務詠一号議醐闘騒襲慰霊臨磁臨鶴居髄砲醐翻闘国観鎖綴踊謂豪雪ー機織綴鎖線鶴轍鞠難離機畿柵全県下の火消組の状況をみれば、明治十六年の県統計書では、全県嚇議線機織繍繍轍鶴輔輔輔鵬購繍舗鰯糊ω約一…授に機騒務総議三γ機欝七・水桶二二六四という数で、ポンプが非常に少ない。飯田警察署内では、組・纏・ポンプ共各一ケを数えるのみであり、上諏訪警察署管内は皆無となっている。木下消防組「明治二十二年三月木下消防組規則」日


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