箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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区として保管したい。一、中学校は東箕輪村の生徒が入るに必要な普通教室五教室を東箕輪村で建てる。十月二十七日第七回目の三か町村合併委員会を行った。この日は、地方事務所の須原総務課長も出席し、財産問題について種々あっせんされたが、三か町村共前回同様の意見で妥協の見通しがつかないので、三か町村の合併委員会は一応中止することとなった。その後箕輪村長のあっせんにより、箕輪村、東箕輪村両委員が二回懇談したほか、三ケ町村の理事者の懇談、或は地方事務所須原総務課長があっせんの労をとる等、あらゆる努力も空しく意見の一致を見るに至らなかった。LI(その一一)中箕輪町と箕輪村は当初から研究した事項に意見の一致する事柄が多かったので、東箕輪村との合併は機の熟するのを待つこととしても、せめて中箕輪町と箕輪村の両町村だけでも合併したいとの希望から、両町村で研究することとなり、次のように研究委員会を行なった。昭和二十九年十月二十九日第一回の両町村の研究委員会を行なった。主として選挙区を設けることと、これにともなう議員の定数について研究した。選挙区については双方了承したが、定数については次のように意見が相違した。中箕輪町11人口比例により定める。箕輪村一任期聞に限り人口比例によらずに定める。十一月四日第二回目の研究を行った。前回と同じく、定数について研究したが結論が得られなかった。十一月十二日三か町村の研究委員会は十月二十七日一応中止したが、東箕輪村よりの申入れで、三か町村理事者および議長が懇談した。その際地方事務所須原総務課長も出席し次の調定案を示したが、東箕輪対叫が承諾するにいたらなかった。(須原課長案)一、長岡道路を境にして南側ハ字日陰入地籍)にある山林二三三町歩を新町に引継ぎ、残余は部落有として保有する。二、中学校の五教室は、東箕輪村で新築する。十一月十五日第三回目の中箕輪町、箕輪村前町村の研究委員会を行なった。この日は最後まで残った、選挙区の議員定数の問題について研究したが、箕輪村にて人口比例によることを承諾し、その他すべての事項について、完全なる意見の一


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