箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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か町村の合併が行なわれることとなった。合併経緯の概要昭和二十八年九月一日、法律第二五八号をもって町村合併促進法が公布され、これにともない関係町村の間に合併の気運が急速に進展し、積極的に促進をはかることとなった。合併にいたるまでの経過をみると次の通りである。(その一)昭和二十八年十二月十日地方事務所主催により、中箕輪町役場にて、三か町村の役職員、団体長等の町村合併に関する協議会が開かれた。昭和二十九年一月二十日県主催のもとに、松本市松商学園にて、自治庁行政課長小林与三次氏の町村合併講演会があり、一一一か町村から役職員多数が出席した。同夜郡北部七か町村の町村長が町村合併について、懇談をした。一月二十八日地方事務所主催により、中箕輪町役場に於て、三か町村の町村長、助役、正副議長が懇談して、三か町村合併の素地をつくった。三月十一日三か町村が共同して、町村合併研究資料をつくった。三月二十一日中箕輪町役場で三か町村の議員総会を開催Oし、コ一か町村の合併促進をはかるため、各町村一名(町村長、助役おエび議員八名〉の研究委員を挙げ、本格的に研究することを申合せた。五月二十八日県より合併計画案が示されたので、これに対し、各町村の意見を求められ、各町村共「三か町村の合併は妥当である」旨回答した。自在日この間一二か町村共議会において慎重に研究したのをはじめ、既に合併した町村の視察を行うと共に、町村自体の研究委員会をつくり、真剣に研究を行った。七月十四日中箕輪町役場において、第一回三か町村の研究委員会を開催し、来る十一月ないし十二日に合併することを目標に、新町建設計画について、懇談研究を開始した。八月二日六二回の三か町村合併研究委員会を行った。当初に研究委員の円滑なる運営をはかるため、事務局を設置することを申合せ、促進法に定められた新町建設計画について逐次研究し、中学校の問題を除き、次の事項について意見の一致を見た。-合併の形式立場の基本方針2


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