箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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以上が郡会の概要であるが、大正十二年四に参与した人々の功績は大きなものであった。第八節町村合併昭和二十八年十月、町村合併促進法が公布されて以来、中箕輪町、箕輪村、東箕輪村は、地方事務所主催の三か町村合併協議懇談会紘一すにより、県が最も妥当であって条件が自然にそなわっているとの啓発をうけて、三か町村では、それぞれ研究委員をあげて、鋭意研究懇談を行なった。財産処分については当初から意見の一致することができず、この際は中箕輪町、箕輪村は完全に意見が一致したので、一応合併の議決をして、県知事に申請の手続きをとった。その際地方事務所の調停もあって、十一月三十日、ついに協議が成立して県の試案の通り、三FJ東箕中選箕犬正八年十月五日の選挙よりは、大正七年末の人口が公示されて、人口増加により各選挙区の均衡を保つため議員定数をコ一一五名」と決定した。箕輪村・東箕輪村より一名選出とし、新らしく伊那富村が二名となった。大正年代になって選出された郡会議員は次の通りである。藤大沢槻一玉一一一郎一一牧太郎一箕箕輪挙輸輪輪輪村村村村村区「大正四年十月判閣団利引引劃劃劃桑矢一十六年辞職林沢島庄太郎弥三郎頼治ト一一一一一一目一一当三選十六藤丸金井笠原年二沢月二増十十日郎田中L贋月一目、法律第六三号により廃止となる。過愛三郎原鶴助去三十二年の長きにわたり、地方民政上の一ロ一重変則の形ではあったが、伊那谷の土木・交沢慶十通・経済・教育の進歩と発展に寄輿し、運用山友弥春日省山唐口沢九宮治一


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