箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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第2編政治・社会村税滞納者人数と額(明治36年現在〉446円40銭9厘治明28差押ベき財産なし102人所在有之明87人治死亡承継者なし11人34年524円94銭1厘年明いして、七倍一厘七毛四五を附加し、営業割を本税の二分としているが、米価騰貴と養蚕の収入で、なんとかなるとしている。明治三十四年の村政について中箕輪村事務報告では一、三六五人の滞納者をだしていることを報じている。しかし、中箕輪村の分村問題も、明治三十三年で平和に復し、明治三十四年は、漸次滞納者の返済が好運に向ったことが報ぜられている。明治三十五年、事務報告は、税務に「村税巨多ニシテ督促或ハ処分等年内間断ナク執行シ特一一村債償還ノ為メ十月中役場吏員総出張シテ処分執行セシメ以テ大ニ進行セシモ本年末、尚二十八年度以降未納人員五三五人授業料一九四人アリ」会計「会計ハ村税未納者アレドモ着々整理ノ為メ諸種の支払流用操替シツツ且十二月九日ヲ以テ一大問題タル村債償還ヲナシタリ」土地台帳については不都合があれど税務署で整理中とある。このように、明治三十五年を期して、村政は一大展開をなしとげることになった。明治一'一十八年以来、混乱につぐ混乱を経て、漸く村民は、多くの犠牲を払って、村政へ取組む姿勢が確立したとみなされよう。明治三十六年の村税滞納者人数とその額を表示すると次のようになる。明治二十八年以来明治三十六O年まで二六人合計四四六円四銭九厘が村税をとれない者であり、これは、O一年間恒常予算の半分に当る額となる。このうち、所在不明・死亡承継者なしOOは、一人に当る。尚、明治三十六年の村税滞納者は、二二九人、五二四円九四銭一厘となる。いぜんとして、二割の滞納者がでているわけである。


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