箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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③村税滞納をいかにするかに必死である村行政と、国や郡の強力な指導、文字通り、権力行政の強引な指導となって、町村制が定着した。この定着を大正末期(郡役所廃止・大正十五年・昭和三年の行政改革〉として、これまでの諾問題の解明が、問題となろう。④村の行政は、村税滞納や分村問題に苦慮しながらも、町村制法の特色である。市町村債券の発行を、国家権力(内務大臣・大蔵大臣の許可)を背景に強引に押し進めることになる。⑤このため生ずるさま人¥の問題を、解決するため、結局、国の地方自治政策が変更を余儀なくされるわけであるが、このような大きな流れの中で生活の問題として、事態にどう対処したか、資料を通じて、述べてみたい。明治・大正・昭和を通じて生みだされた新しい行政村の機構が、旧藩自治村をどのようにとらえていったか。自にみえない行政機構が、村の財政や、村税の中で、どのように展開していったか。村の人々は、これをどのようにみつめ、反援し、なじみ、組み入れられていったか。戦前の国家行政が地方自治体をどのようにとらえたか。更に地主層を中心とした村の名望家たちが、自己の利益と、国家行政のためにどのように挺身したか。以上のような問題を、乏しい資料からとらえ、以下筆を進めることとする。箕輪村の予算・決算と滞納者の問題箕輪村役場の焼失は、明治二十三年三月二十七日であるが、書類簿冊をなくしたため、この年は九六円三二銭の現金で村の会計を賄っている。この時の郡役所への報告では、未納者と、完納者の区別がわからなくなって困ったと郡役所へ報告している。このような滞納者の問題が、村予算・決算書を大きく狂わすことになる。箕輪村の明治二十四年以降の村予算の規模は、明治二十九・一二十年と歳入・歳出が大幅に増加している。この年(明治三十年)歳入の増加で注意されるのは戸数割の増加などである。しかし会計の実情はどうであったか。政治と生活との関係としてみてゆけば、村税滞納者が増加し、その滞納額が多くなってゆく実情があきらかとなり、村の


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