箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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戸数割合戸に付、金二十五銭O二毛余)が徴集予算となっている。其役場所鶴樋口村外四ケ村連合村会評決明治十八年度村費支出予算戸長役場費中、官報井新聞代価ヲ削除シタルハ不適当ニ付右原按ニ拠リ施行シ収入予算戸別割ノ課税ヲ一戸金八銭五厘トシ該費ニ充テ旦救助費中行旅病者費ハ村費ヨリ支出ヲ要セサルニ付収入予算ニ於テ収入スル過金ト共-一年度内ノ予備費-一充ツヘシ此旨相達候事明治十八年七月二十一日長野県令木梨精一郎代理長野県大書記官鳥山重信明治十九年の学校令公布とともに、聯合村に教育予算が入っている。明治十九年の学校令発布まで、学区会として教育費の予算書を作成していたわけであるが、明治十八年の史料として次のようなものがである。「学区会決議御承認伺第拾二番学区会ニ於テ明治十八年度教育費収支之予算別冊之通決議相成侯-一付、御承認被成下度比段相伺候也明治十八年六月二十四日上伊那郡長伊谷修殿司町一書面承認候事ロ同一明治十八年七月二十二日上伊那郡長伊谷傍回」以下、長岡学校などの教育支出の詳細があり1上伊那郡樋口村外四ケ村戸長代理筆生伊藤久左エ門収入予算としては、地価割(地価百円ニ付一円OO一厘毛余)@明治十九年の学校令で、樋口他四ケ村の本校は、小河内におかれ、小河内学校の支校として、平出・樋口・長固


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