箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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いずれも他村からの輸入戸長があたり、前歴などもしられていない。「聯合村会決議御承認伺」当郡内聯合村会-一一於テ明治十八年度聯合村費収支之予算等別冊之通リ決議相成侯-一付御承認被成下度此段相伺候也明治十八年六月十日上伊那郡長仲谷僑殿上伊那郡樋口村外四ケ村戸長有賀源衛囲羽劃一書面決議中官報其他廉-一丙第三百二十一号本県達之通可相心得其他決議之通承認候事明治十八年七月二十五日上伊那郡郡長伊谷修固として、村費支出の予算決議書が作られている。松方デフレ政治下、詳細な予算書は、当時の生活用品の物価が適確にわかる。総予算経費三百二十二円三十五銭の予算中、二百三十九円四十一銭が戸長役場費で他は、三十六円九十七銭の衛生費、五円の救助費、三十四円三十六銭勧業費となっている。衛生費・勧業費共、委員の給与であり、月給一一一円の九ヶ月分となっている。各一名の勧業委員・衛生委員共、民選期の選挙によったものでないことから、町村制が根本的に改変されたことを併せしることができよう。戸長役場費の半分が消耗品費に当り、内六十円七十五銭の大半の美濃紙を、土地台帳の作製紙としている。収入は、地価と、戸数割である。明治十八年の樋口村外四ケ村の予算書について、長野県より、次のような布達書が届けられており、官報・新聞代を削除することは、まずいとしている。上伊那郡樋口村外四ケ村戸長


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