箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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木ノ下高札場設置の御触れ「御布告之処布達物是迄組合村々へ紙廻状一一而相達、毎村写取水雷廻逢時刻遅延いたし口口之事件不行届旦誤字落字等も出来又者長副他出等之節差支之趣も相聞へ自然御趣意一同江実ニ貫徹不致以之外之事-一付今後御布告類木正(製)版にて摺立村弐通ヅツ配達可致候ハマ誤字落字之弊無之筆紙入費書写手数も省ブケ却而弁利有之候間此上左之通摺物にて相渡候筈一一候条毎村ニ於テ村名下へ調印之上二通ヅツ引去り残何冊継送り侯旨相認速々順達取斗可申候村方へ布達方之儀者壬申十一月村内一般不洩相達下通リハ其村々掲示場文掲示場無之村々は人民見易キ場所江速々可張出候是右布告摺物代価之儀一枚入費新紙幣一一一厘相掛り候条右代価者一月より六月迄之分者七月限り猶七月より十二月迄之分者翌年一月限り村割に而取立明細目録相添村金を一区壱纏メ-一致シ惣代ヲ以可差出此旨兼市相違侯事明治六年一月十三日筑摩県参事永山盛輝」ー紛失事件が起き、誤字・脱字の廻状写しでは問題あるということで、木摺り廻状を、掲示板へ張出せということである。以後廻状は印刷文となる。従って、大区・小区制の布告は印刷文によっているわけである。ところが明治七年一月、筑摩県は、印刷文の掲示板‘布達はまずいということで、毎月三日宛村民を集めて、布達を読み聞かせよ:::という布告を出し、村では、止むをえない者以外は、集って、読み聞かせ説明をしている。この高札場の設置について、木下では、次のような御触れを出している。「今般(上記写真〉


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