箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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以上の条項を定めて、組々が互いに不取締りの無い様に皆で注意する事を申合せ、新時代の末端の組の努力と心意気が伺がわれる。大出村においても婚礼、不幸、祭礼、講の酒食について倹約の申定をしているが、御維新による気のゆるみを引締ており、生活の安定に配意し、旧来の習慣を打破するべくの努力が伺える。明治三年三月の定めを見ると、一、年礼の儀ハ夜番組、親子、兄弟ユ限リ其外相互ニ可致事附り酒等一切出し由・間敷事一、日待之儀祈願職之外客呼一切致問敷事一、月待、庚申待致し候共酒食一切出致問敷事一、産社祭礼之節、酒、赤飯等神前江備江候外膳限リ取賄ヒ可申事附り土産として赤飯等他所江一切出し申間敷事一、婚礼其外諸祝儀共一汁一菜ニテ取賄ヒ、春闘敷儀一切致間敷事一、不幸之節施主方ヨリ知ラセ候外他門見舞相止メ弁-一酒等一切出シ申間敷事附リ他所江見舞モノ穀類一切出シ申間敷事一、年玉、歳暮モノ遺取一切致問敷事以上の定書を村中に周知を計り、村が疲弊しており、開作の夫食にも難渋する上、やむにやまれない入費が必要であるから、個条のことは勿論、その外の事でも倹約して世の中が安定して立直りする迄は、申定を守ってもらいたいと、役元では組々へ知らせ協力を呼びかけている。平田国学と世直し状勢箕輪地方の平田国学の入門者で、一番早く入門した人は、松島の千葉原廉節三四才で、松沢義任の紹介によっている。時に、慶応二年七月のことで、木曾の騒動の年に当る。この年、当地の物価高と飢謹も相当なもので、


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