箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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のであろう。この十五年より二十三年の期間では増加九五ご戸を数え、総戸数の約二割という激増を示している。また戦後二十三年以降はその増加は上昇線をたどり二十三年より四十五年の聞に実に四九戸とふえている。これは、戦後における、核家族化の進行と考えられ、一世帯当りの人口昭和二十二年五・四人、昭和四十五年四・二人が、それを証明している。一方減少の時期は昭和十一年から十五年にかけてで、箕輪町として三七戸の減である。この原因として満洲移民、軍需産業への転出といったことが考えられる。。また人口においては明治九年から明治四十年まで約二五人と著しい伸びを示している。我国の国力伸長とも相応じている感がある。それから昭和十五年までの約三十年間は殆ど横ばいの状態である。この期聞の第一次大戦から支那事変までと、世の中の変動の激しかった時であるから時には減じまた増加と、大きな増減を示している。大正五年時と


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