箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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町内全域の動物について細部の調査はしないのでここでは、分類、分布、生態などいわゆる学問的な表現ができない。あくまで人とのかかわりから町内で特徴があると思われ又、町内の資料のある動物について考えることにするιただし野鳥に関しては箕輪町主催の萱野高原探鳥会などにより、細部調査ができているので町内で確認した個体の全部にふれる。第二節いのしし(ニホンイノシシ》OGOM偶蹄目(ひずめがわれている)のイ位までの広葉樹林帯に棲むが時には此の範囲を越すことがある。食べ物は、米、雑こく、甘藷、かしのJシシ科、ブタと同じ類、夏は一七以下、冬は一四以下、↓OOMOOM実、野ねずみ、みみやす、さわがになどを食べる。夜行性で行動半径も広く、一夜に四八加も歩き、一山を越Tすといわれている。つまり被害を朝発見してもその近くにはいないわけになる。ししどて箕輪町では人といのししとのかかわりの歴史は古い。昔、いのしによる被害を防ぐために造られLたどてが「ししどて」である。西山山麓、富田|上古田L下古田大出|沢地籍にかけて現在もその跡が散見でLき南北に続いている。道路として使用している地域もある。福与には、鹿垣(ししがき)という部落がある。なお、しし土手は山地から平地になる山麓のすそてにあるものとされているが、中曾根部落北の平地林中に東西にわたり、そのあとが発見されている。又大出の麦干場地区にも、南北にわたり存置されていたが、西天竜開田工事の折に、その土手の土は、耕土等として使用されて現在はない。ししどてのところどころに深い穴をほり、土手の外側を走るいのししを、おとし込んで捕獲した。その見張りの番として地域の人を当番制にしたいわゆる回覧板式の当番札や、ししおい当番を書いた古文書が上古田にあ


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