箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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上古田のカシワ岡、竹村家所有のものは、幹囲約一である。こMれらのナシも鬼門からのわざわいのナシを願って、家の北東か、南西に植えたものである。「ありのみ」は「無し」に対する「有りの実」である。桃沢匡勝の伊那谷梨の歴史によれば、長十郎は明治二十七、八年頃、神奈川県橘樹郡大師河原村(現在の川崎市〉の当麻長十郎の園で発見された品種で、長十郎と名がつけられたとある。現在長岡其の他の屋敷内に白い花を咲かせている長十郎は、誕生後八十才となった。二十世紀は、千葉県東葛飾郡八柱村大橋(現在の松戸市)の杉戸覚之助の園で偶発的に実生よりできたものと言われ、明治三十一年に大日本農会主催の品評会に出品し、その優秀性を認められて、東京輿農園主、渡瀬寅次郎と池田伴親によって命名された、とある。箕輪町に産業として広く導入され始めJたのが昭和二十七八年であるので二十世紀として誕生以来五十五才となる。現在共撰所に搬入されて各方面に出荷されている梨の樹令は二十年である。此の二十年間にその栽培面積、栽培方法、販売方法等に変遷は多く見られたが、現在も続けられている。カシワ(ゆずり葉)この木も屋敷内に植えられている。鬼門とは関係なく、葉をかしわ餅にする、かしわの木である。カシワの特性として、秋になっても葉が枯れても落葉せず、来春新芽が出る時落葉する。つまり旧い棄が次の芽を保護し、新しい葉へ所をゆずるので、ゆずり葉という。家を中心に子孫の無事を願い植えたのであかしすいじカシワのカシは「炊」炊事であり、わは「薬」即ち食物を盛る棄の意味である。


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