箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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水田のヒエは稲をつくるのに常に気になるものであり、其の種子の数に驚かされるが、いわゆるヒエぬきをした後の処置が適当とは言えない。所によっては、ヒエ捨て場を選定したり、ヒエ焼き場を決めてある所もあるが、箕輪町ではそのようなことは余り聞かない。ぬいた、ヒエを土手に投げておくだけでは此の数の種子の一部は風や、水で又どこかの回の中へ戻ってくる。数日子正種辺の波株方1い草喰雑取な藍いも除お13万34218万82931万46546152002574ヒメムカシヨモギアレチノギグハハコグサヤエムグラエノキグサコニシキソウ四生態95661339コナギ2848タマガヤツリ5100イヌビエ小株688中グ2728大グ1万046121593591万3168754.2366213.199839212805ノミノフスマノ、コ'くスベリヒユハノレタデメヒシパエノコログサスズメノテツポウアプノメキカシグサナケナ、ツズネナタ踏まれでも踏まれても強く生きて行くことのたとえに「雑草のように強く」というどとばがある。舗装してない農道などにチカラシバ、オヒシパがある。茎、葉が強く子ども達が通路で此の草の葉の一部をむすんで歩く人の足をひっかける遊びをするの、がそれである。耕うん機の輪だちの両端にガの通路のみに育っかとさえ感ずる強い雑草である。Yチリかまえている。オオバコも人オオバコによる霧沢山、山論の裁きが江戸時代の実話として、古文書によって残っている。寛政八年に霧沢山の山論の折、箕輪領では、山道が八本あると主張した。その証拠には、山道には「オオバコ」が生えていると、検使役人に願出て、特別に吟味されるように訴願したのである。検使役人はこの山道を吟


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