箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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フランクリンが避雷針を初めて作ったのが一七五三年である。したがって南小河内の避雷針はそれより約二年後に建てられたことになる。この避雷針については多くの研究がおこなわれて実用化されたわけである。OO雷について町内にいろいろの言い伝えがあ可。。雷の時は官官の中にいろ、雷の時はかやの中が安全だというわけである。中谷字士口郎は尋問。について『蚊帳は電気の絶縁物(電気を伝えない)だからというのは全く意味がないのである。空気が一番よい絶縁物なのである。反対に蚊帳は絶縁物だけれども、雷は大低雨を伴うので、落雷のあるときなどは湿気を帯びて半良導体(電気を少し伝える)となっているから、その中に入っておれば電気は良導体の内部へは入らないというその原理に従って安全なのだという人もある。それも、何も根拠のある話ではない。唯一つ考えられるのは、蚊帳をつってその中におれば比較的広い室の真中にいることになるということである。然しそれでも余り蚊帳の効能ともいえない』といっている。箕輪町にはまた雷がよく鳴る年、いなびかりがすると米がよくとれるとか言った人もある。これについてはその近代科学的な説明として『よく電光によって空気中の窒素と酸素が化合して、硝酸類の化合物ができたり、或は水の分解が伴ってアンモニアができたりしてそれが雨と共に地に浸み込んで、天から与えられる立派な肥料となるからであるという風なことがいわれる。外国の気象学者で、その量が全世界では、一年間に何十万トンとか、何百万トンとかに上るだろうという計算をしている人もある位であるといいながら、実際に雷によってこういう化合物ができるか否かということは本当はよ南小河内共'同避雷針


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