箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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箕輪東小にあるもの(約二OM)は明治四十八年にほられたものであり、最も古いものとして明治五年(小林頼治、小横井戸の模式林新八〉がある。箕輪西小のものは三で出水は得られなかった例があが判断される。OMる。箕輪町の井戸の分布状況から地形、地質、土壌の項で記したが、一扇状地では水が伏流し崖端にて湧水となるが、その近くを掘れば井戸が得られるとは限らない。不透水層の地層即ち、水みちに適合した場所でないと水深は得られないことょこ井戸清水のところにあげであるが此の項に当る場所も箕輪町には多くある。清水と呼んでいるが、ょこ井戸で現在豊富な水を得ている清水(桜洞水源など)と深く掘り進んだもの、或は判の木大原地籍に於て東方に消防団で二OOM掘ったが十分な水を得ることができなかった所もある。何れも上の模式が横井戸であるので地層の構成が重要である。古くは江戸時代、新しくは大正時代に堀られた。すべて人力に依り高さは人が立って歩


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