箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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の一部、南町と約一一加で総延長約一五である。OOM大せぎは、南小河内1北小河内と流れ天流川の流れと逆の方向に流れるため、Nさかさ水と称し、水利権をめぐる問題、伝説、行事のおさんやり又はお船まつりなどが此の地域にある。長岡用水沢川支流の樽尾沢川の、漢水を揚水して、水不足に悩む長岡の人々に、明治六年に着工して、明治十七年完成の長い歳月を費して通水した用水である。長岡部落内を流れる用水についても長岡水道開設に至る前は重要な飲用水であった。各家庭に桶を準備しておき早朝これにその用水より手桶でくんで満たしておき、その日一日の飲用水とした。これも台所をあずかる主婦の大切な仕事であった。長雨で用水に泥水がながれる時はトタン屋根に降る雨を集めて飲用水とした事もある。朝の水くみから始って、日中は鍋、かま、食器、野菜、洗い物がここで行われた。台所よりの排水は、その下にため桶『ニゴシ』を埋めておき、満水になればくみ取って野菜畑に運んだ。風呂の排水、洗濯後の汚れなども勿論、用水に流し込むようなことは、絶対にしなかった。深沢川木曾山系の黒沢山公二二六、八と桑沢山(一五三八、三M)の中間、烏帽子〈一四OOM)付


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