箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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の木部落で他の四部落は扇状地にある。一ニ区の地質はω山地は花崩岩及び閃緑岩が基盤をなし、比較的腐蝕度も進んでおり、山麓線に近く崖錐及び扇状地堆積物の浅いところでは、基盤岩石の露出するのが散見される。腐蝕の進んでいる点庭石などにもよくない。一方その上を覆っていた領家片岩は部分的に散見される程度で、この岩石も砕け易く老年期の山地の地質のもろさがわかる。この山地から流出する多くの小河川中、中の沢川は最も谷が深い。各河川は年毎に侵蝕が進み、下方侵蝕は谷を一層深くしている。側方侵蝕は崖くずれを誘発し易く基盤がサベで表土が砂質である場合、荒地(悪地|パ砂土の地域が広いが、またロLムに覆われている所もありこの点は萱野高原登山道でみられる。帥山地を流下する小河川は砂礁を運搬し堆積し扇状地形を形成した礁から考察すると、花尚岩、閃緑岩、結晶片岩類の角礁で、土質は必ずしも一律でなく、砂質の部分あり、粘土質あり、ロームに被われている処もある。一扇状地の堆積とロLムの堆積とが交互であったかと思われる点もある。扇一状地面は小河川、湧水などによって順次侵蝕されその度合は下流(西方)程進み、残された面はロ部分でみられる。第六節西部山地の地質査を依頼した。その報告書を資料として概説する。Lムに覆われ多くは畑地及び村落のある台地となっている。鹿垣、中村、判之木、郷、沢はその上に位置し湧水、小河川に侵蝕された浅谷は水田で模式的棚田の観がある。付天竜川の砂喋段丘の一つは卯の木部落である、天竜川を流下し堆積した礁層は竜東線の道路の東の切取りの箕輪町は町水道設置のため昭和三十六年より信大文理学部山田哲雄に三次にわたり水源を求めるために地質調Vトランド〉は拡大し、土地の保全のための砂防工事及び堰堤の必要が増してくる。山地は花崩岩の風化による一位まで東方へ追求されるものと思われる。全部落その段丘上に立地しているのは福与五耕地のうち、卯OOM風成ローム


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