箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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ようになっている。一番奥の洞窟の底には地下水と落葉類がたまっている。これは上の穴から雨水と共に流れこんだものであるう。入口右手の側壁に水気を帯びた所もあるが、天井は乾いていて点滴もないので、今後の溶蝕は上方の聞いている孔より流れ込む雨水によるものが主な営力になる。熊倉沢南の鍾乳洞現河床より約九五上方、入口の方向M北西に面する。過去に心なき人々が鍾乳石、石筏をみだりに持ち去ったということで地元の人々が管理上入口を石で閉じて中にはいれないようにしたことがある、ここの石灰岩の層理は傾斜三四度で山の斜面と一致している。ここの上方には変質粘板岩の露頭があり、更に上には石灰岩の露頭があるなど山全体が複雑な地質である、洞内側壁には地下水に溶けた炭酸カルシウムが流下した様子が良くみられ、手のはいらぬ程の狭い天井の割れ目に鐘乳石の小さいものが見られる。昭和三年八木貞助報告書の図面のようなものは皆失われている。洞窟底には落葉、岩石が厚く堆積しているので石宥の存在確認は困難である。天井からの地下水の滴下もなく、洞内は比較的に乾燥しているので今後溶蝕が進み鐘乳洞が進化することはごく遅いものと思われる。ただこのように条件の悪いところに於てさえ石灰岩地域には溶蝕作用により鐘乳洞ができるという標本的存在として価値の高いものである。鐘乳洞の成因には雨水が必要であるがーとの水によって石灰洞を拡大する時期と、拡大された洞内に鐘乳石や


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