もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~

もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~ - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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2村葬後の顛てんつま末◆牛沢校長の言葉から五児童の村葬はしめやかに執り行われましたが、後には遭難事件に関する職員の責任問題が残りました。牛沢校長は村葬の弔辞の中で、この問題に関して次のように述べています。「(前略)私にして見れば天災どころではないのであります。皆私の智恵の足らざる所力の及ばざる所であります。その結果が遂に立派な御身達を可借この大難に遭せたと云うもので、その罪は甚だ大きなものがあるのであります。第一には陛下に対し奉り申訳の立たない事であり、第二には御身達のお父さんやお母さんを顧みて忍ぶ能わざるものがあります。・・・(中略)・・・而して将来中箕輪学校がその使命とするところを全くして、此処にある学童生徒の悉くを挙げて忠孝両全の善士となる事を得るならば、之れ即ち学校の盛時国家の安泰にしてその功徳は皆御身達の精霊の致すところに帰するのであります。(後略)」また、10月13日の職員会では、次のように述べています。「今回の事件については、関係職員の進退問題について当の村上・土屋両君は絶対に自己の考えで進退を決する様なことがあってはならない。他の職員も同情をもってこれを見る様にすることが大切である。校長の進退については、今ここでどうということにする決意をしてはいない。大乗的・小乗的・積極的・消極的と云われるが、今のところは如何とも決した気持ちになっておらない。今度の事件に際して考えることは、赤せきせい誠以って教育に当たることで、如い何に誤解されようとも、陛下の御事を思う赤誠より出づるものならばよい。弔詞にも申した通り勇猛果敢に直進すべきである。真に鍛錬する用意を持って行っても、児童を失ったなら校長は退くべきで、教育の精神は次の校長へと継承されていく、その時は四しめん面楚そこれらの言葉から、校長先生は、遭難事件は全て自分の力不足によるものであり、その責任は甚大であると考えていたことがわかります。そして引率した先生方には、自分の考えで辞職してはならないと話しています。しかし一方で、自分の進退についてはどうするか決めていないと話しています。これは一体どういう意味なのでしょうか?校長先生は弔辞の中で、5人の命を失ったことは、第一に天皇陛下に対して、第二に両親に対して申し訳ないと述べています。また職員会でも、如何に誤解されても陛下のことを思う誠の心によるものであればよいと話しています。こうしたことから、校長先生自身は、純粋に学校を挙げて忠孝の善士を育てることを目指し、そのためには、それでも鍛錬のための修学旅行は必要だと考えていたものと思われます。そして、大きな目標のためには各自が勝手に判断してはならす、学校を挙げて忠孝の善士を育てることができたならば、亡くなった5人の霊に報いることができると考えていたものと推測されます。歌の中にあっても、校長は深く心中で喜びを自身のみで感ずるのである。(後略)」かか◆遺族の思いと裁判一方、大切な我が子を失った遺族は、どのような思いだったのでしょうか。現在確認できる唯一の遺族の手記である泉澤近次郎氏の文章は、極めて冷静・簡潔に記されたものですが、そこには、当日友達と一緒に元気に出発した様子や、山崎先生が事件を知らせに来た時の様子など、当時の状況が記されています。また、遺族への聞き取り調査では、「山崎先生が来て話をしたとき、“どうしてくれるんだ!”とお父さんが言ったらしい。」「遺体を心配して行った母が、直江津の方は仏様を大事にしてくれるので、遺体をきれいにしてくれていた。きれいにしてくれたから諦あきらめなきゃと思った。」「母も第二陣で現地に行った。遺体を火葬にしてお骨になったのを見たとき、旅行のために買ってあげた靴の跡が残っていたのをみて悲しかったと言っていた。」などの思いが聞かれました。村葬後の10月7日には、亡くなった児童の遺族が学校に御礼に訪れました。しかし、愛児を失った悲しみはあまりにも大きく、子供の死に納得できない遺族もいて裁判になり、11月11日に校長先生、土屋先生、滝沢先生、村上先生が伊那区裁判所内検事局へ向いました。そして昭和18年1月12日に公判、19日に判決があり、遭難児童の担任であった村上先生に禁固六ヶ月(※四ヶ月という説もある)、執行猶予二年の判決が出されました。また、行政処分(※12月28日付文官懲令)は、土屋先生が減俸十分の一3ヶ月、村上先生が減俸十分の一1ヶ月、牛沢校長が譴けんせき責処分というものでした。なお、これに先立ち、村上先生は12月12日に学校を退職しています。聞き取り調査では「若い村上先生を学校に置いておくと、将来があるので処分の前に依願退職させたのではないか。牛沢校長の心配りだったと後で聞いた。」という話も聞かれましたが、詳細は明らかではありません。―11―


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