ガイドブック 東山山麓 歴史の道

信州みのわ 東山山麓歴史の道ガイドブック - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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史跡・遺跡伊那郡司となり、ここに館を築いたと伝えられていますが、明らかではありません。しかし諸史料から、鎌倉時代にうえノの平たいら城跡上上ノ平城跡のある丘は、原始時代から生活の場として利用されてきました。11世紀末には、伊がも公と為ため那源氏の祖みなもとの源の一族である神氏(知久氏)が小河内に居を構え、そのみわうり祝ほおおは諏訪大後下伊那に移るまで、平山城が存続していたものと考えられます。城跡は、東西約450m、南北約200mの台地上にあり、主郭は台地中央にあります。発掘調査の結果、この城は、戦国時代(15世紀中頃〜16世紀中頃)に使われていたことが明らかになりました。また、土塁や建物の跡、火災に遭ったと思われる痕跡なども見つかり城跡では戦国時代に戦いがあったことから、こ与よふくました。近隣の福南小河内区─●あつつ光みあつ◆【知久氏】知久氏は、諏訪神社大祝から分かれた神氏と言われ、敦の子敦が南小河内に住んだ際、地名の知久沢をとって知久氏を名乗ったとも言われています。この際、氏名の由来となった場所が、上ノ平城跡に隣接した日輪寺や知久沢川の周辺ではないかと考えられています。俊とし21の城も何らかの戦いで焼失した可能性が考えられます。長野県の史跡に指定されており、今も地元の方々の手で大切に守られています。


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