箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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最後のお別れをする。棺は座敷の口あるいは、玄関より出して、配役にしたがって葬列が組まれる。近親者の男は素足にわらじ、女は素足にぞうりを履き、手拭をかぶる。葬列は寺やお堂の庭か引導場に着くと、左回りに三回半まわり中央の台上に棺は安置され引導が渡される。つをついて弔詞・弔電が披露され、近親者は霊前で、会葬者には香炉が回って焼香が行なわれた。戦争中から宅葬となって自宅で引導が渡され、寺やお堂の庭、引導場での引導の儀式は行なわれなくなった。式が終ると埋葬となる。棺は駒ヶ岳の方向にむけておろし、縄は刃物を使わずに切って、その上に土をかぶせて盛土を高くして上に石を一つのせて墓印とし、宗派によっては墓標をたてる。一年のうちに同一の家で葬式が二度あると、二度あることは三度あるといってこれを忌みきらい、槌を引いて行き埋葬する。野辺送りから帰ると手の平に塩を受けて水で洗い清める。隣組の者が仏壇を作り、僧侶は続経後供応を受けて帰る。現在は家で引導を渡すので、葬送の行列が墓地へ出掛た後ただちにこれを行ない、初七日の法要も同時に行ないお経が上げられる。隣組の者はお念仏を唱えて後、因子、供物が投げられて墓参りに行く。隣組の者が帰るを待って上座にすえて御苦労振舞の「精進落し」が行なわれ、一切のことをすませる方法をとっている。追善供養七日目を初七日といい、僧侶を頼みお経をあげて近親者だけで墓参する。葬式当日七日の法要が行なわれるので、七本塔婆はその折に一諸にたてるようになった。七七忌(四十九日)には近親者を招いて墓参をする仏壇を取除き、酒肴を出し膳引をして形見分けを行ない忌明けとなる。初七日檀引一、茶謄一、吸一、盛首訳部物本一、皿一、平謄みかん油揚れんこんまんじゅうシタシモノカシす青春椎し味雨茸込


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