箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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婦人乙』';Z;;;第四節婦人会の組織としては長野県内で明治二十一年に婦人矯風会のできたのがはじまりで、その後明治二十四年に飯田に伊那婦人会ができ、続いて明治三十三年各地に婦人会ができはじめた。また愛国婦人会長野支部が明治三十四年にできて、時の県知事夫人が県幹事長となっている。箕輪町では松島に明治三十七年一月三十日に婦人会が結成され会員百四十名をもって、中箕輪高等小学校訓導小池きく子を会長として次のような目的をもって発足したのである。-有益なる演説、談話、講話、講習会を開くこと。2諸種の慈善事業と矯風事業をすること。3家政に関する研究すること。富田でも明治四十年頃組織されたが当初は殆ど活動らしいものは無いと記されている。また東箕輪でも明治四十三年頃作られた。次は明治四十二年の中箕輪村の婦入会の様子を示すものである。O婦人会(明治四十二年)松島去る三十七年頃の設立として当時戦後の際の如きは出征兵士及その遺族の慰問に勉めたるは美しき事業を言うべく、その後数回聞きて比較的幼稚なる婦女子の思想を高めしも惜しむべき哉、さらにその後の


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