箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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大正十年長野県連合青年団結成大正十一年郡連合青年会で伊那町常円寺にて五日間、中堅青年講習会が行われ多数参加した。この頃青年会員の政治活動が目立ってきた。順次会員中から会長を出すようになった。大正十二年第二部青年会主催の講演会直前に行われた郡の雄弁大会では真剣な弁論が行われた、電灯料値下げ運動に参加した。また片桐村前沢川増水による水害の義摘金募集を行った。関東大震災の義損金募集、辰野駅救護所の活動に従事した。大正十三年村の連合青年会を統一して村一本の青年会とし各区の青年会を支会とした。事業の各部を作って真剣な活動が行われはじめ、研究会、雄弁会など盛に行われた。陸上競技大会が各村青年会、第二部青年会、郡主催各部対抗等で行われた。この後毎年継続された。大正十五年研究会、会報発行、登山講演会等が活滋に行われた。大正期の青年の動きを見ると、一方には青年会という結社の社会的活動と会員の研修活動が漸次形づくられた時代であるが、一方にはお祭り行事の主力はこれら若い人たちでまかなわれて居り、また赤穂スタLの拾頭に刺戟されて各地に有志の野球チLムが結成され、青年会活動とは相即ではないが、いわゆるお祭り青年団、スポーツ青年団といった動きが、或る期間の青年の姿であったことも事実である。このような状況の中で、中箕輪村青年会においては、会歌(作詞、作曲者不明)を作って、大いに青年の奮起することを望み、郷土愛に目ざめ、自己の研修につとめることを会員に要望している。昭和期の青年会昭和三・四・五年は、農村が経済不況へと進む中で、農村の疲弊を叫び、農村対策運動が盛に行なわれた。左四


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