箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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(二)以来我東箕輪村は地勢上統一の困難と封建制度の遺物としての部落的精神に富んでいた。その表われは各地に青年としての集団は存在していた。明治五年創立の北小河内研成社を始めとして明治十一年?の南小河内誠志社明治二十八年の長岡同志会明治二十九年の長岡新国の矯正会等の如く、皆創設古くと称せどもこれ往古英雄割拠して一固としての、統一なく皆何れに帰せんともせざりし有様、かくて何もなすなく徒に長き月日を過ぎしが、最近に至り漸く之が統一を計り大正元年始めて東箕輪青年会なる名称の許に村内四個の集団を統一ぜり。かくて地勢その他の関係上本部を本村小学校に設立して支会を別つ事四第一支会北小河内研成社会員三十五名第二支会南小河内誠志社P二十五名第三支会長岡同志会グ六十名第四支会長岡新田矯正会グ二十名各部落の集会をそのまま本会の支会となし支会の事業即本会の事業とせり。しかれども各支会の事業統一整理監督のため、本部に常任書記二名会計一名を設け之が管理のため会長を小学校長に依頼せり。また各支会よりは支会長の外に各三名の代議員を選出して本会の事業及会計をして万遺漏なきょう取計い猶一一層進歩の途を講ぜり代議員会は随時之を召集し総会は春秋の二季これを召集して会の統一と進歩を計る事に努力せり(一一一)本会のもとに於て行える事業の主なもの4321講演会講習会農産物品評会農事視察旅行


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