箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 972

の補助を得て各学区の協力を仰ぎ、箕輪東小学校、箕輪北小学校、箕輪南小学校、箕輪西小学校に順次プールがつくられ、夏には子ども達の泳ぐ姿が見えるようになった。箕輪町立箕輪中学校と箕輪西小学校を独立させ、引き続き高等学校への協力も続けた。既存の「中箕輪外四ケ村学校組合」を「中箕輪高等学校協力組合」に改めた。これは、箕輪町南箕輪村で組織し、中箕輪高等学校の県立移管の条件に関する事務を共同処理することにあった。この協力組合に対して、箕輪高等学校長は工業科を設置するための建議を出していた。内容は、第一次より第五次にわたるもので、電気の関係の諸施設を充実させようとし、総計二、三万円の拡充計画であった。こOOれにより、昭和三十五年に工業科を定時制におき、続いて昭和三十六年全日制に工業課程を設置することになった。全国一斉学力テスト昭和三十六年九月文部省の指示により、全国一斉の学力テストを実施した。本年より昭和四十年まで、指定校、希望校などに分けて、国語、算数を、五、六年生を対象に実施した。最終の昭和四十年は理科であった。学力テストの問題は学校教育に種々の波紋を投じた。なお、昭和三十七年「義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律」の公布により、昭和三十八年度入学の新一年生より、教科書は無償になり、順次高学年にまで進み、昭和四十一年には六年生まで無償となった。昭和四十五年度各学校児童生徒数及び部落別児童数は、前頁のとおりである。箕輪町の教育の変遷をたどるのにいろいろの方法がある。付校舎建築関係同学制による変容同教育方法の進展伺校種別伺その他、と多くあるが、これのどれもとり入れて、年代順に箕輪町に現存する資料を生かして記述した。資料如何により精疎の差がある。


<< | < | > | >>